山里 は 冬 ぞ 寂し さま さり ける 人目 も 草 も かれ ぬ と 思 へ ば。 【百人一首講座】山里は冬ぞさびしさまさりける 人めも草もかれぬと思へば─源宗于朝臣 京都せんべい おかき専門店【長岡京小倉山荘】

へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

「ける」は詠嘆の助動詞で「ぞ」を受けた係り結びです。

4
へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

今朝は集中豪雨の被害状況がテレビで放映されています。 三国志の時代から魚釣島を航海の目印としてきた。

へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

奥ゆかしさ の文化が残っている日本では有名な方の名前を挙げる人はさほどいませんでしたが、外国人の場合自分をアッピールする事を良しとする方が多くて、よく出会いました。 特にサルはイヌと違って寒さが苦手なんで、もう震えが止まらなくて大変だよ。 色んなチャンスに手を変え品を変え訴えるのは当然である。

17
へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

桜花の頃のどんよりと重い「花曇り」の季節は過ぎ、さりとて「夏」でもない。 。 宗于の三男が博打で叱られて家出し帰って来ないという話が大和物語第54段にあります。

18
へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

風に煽られ、「きようがる島」に漂着する。 普段忘れてますが時々こうして思い出すと身震いします。

へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

・・・発想を換えてみよう:「この春の夕暮れの 風情は素晴らしい」と主張する 詠み手に対し、 否、「物のあはれは秋ぞまされる」と反論してくる人達だっている 筈だ。

7
へ さり 寂し さま も ぬ ば 草 と かれ ぞ ける 思 冬 は 山里 人目 も

4)「秋の夕べといづれ 勝れる」 ・・・もうこうなったら、断定的に「春の勝ち!」と 詠み手が宣言するのはやめて、読み手に判断を 委ねて、「こんな素晴らしい春の夕暮れの山川の 風情を前にして、あなたはそれでも"物のあはれは秋ぞまされる"とか"秋は夕暮れ"とか言い張りますか?」と、反語的疑問文をぶつけてみてはどうか、という訳である・・・が、これも 姑息に逃げを打っている感じで、歌に力が 籠もらない。 因みに、「 古今集・冬歌」の冒頭は「 竜田川錦おりかく 神無月しぐれの雨をたてぬきにして」(三一四・題しらず・よみ人しらず)である・・・ 紅葉で有名な 竜田山、その麓を流れる 竜田川の11月の 風情は、山から散り敷いた 紅葉を横糸に、降る雨を縦糸にして、まるで錦織りのようだ・・・と、目にも 絢なる自然の美景を擬人化技法で詠んだ歌である(「おり」は「 竜田山から 竜田川へと 紅葉が"降り"」/「川に散り敷いた 紅葉の横糸と降る雨の縦糸とで錦を"織り"」の 掛詞)。 でも、問題は無いのだ。

4